日本で唯一3種類(盲導犬、介助犬、聴導犬)の補助犬を育成および認定できる団体です
平成13年10月25日。
仕事からの帰り道、それは突然起こりました。
家に向かっていつものように250ccバイクを走らせているとき、対向車が突然目の前に迫り、そのまま衝突。
いまから20年前、安杖直人さんが31歳のときでした。
相手の不注意による正面衝突。
背骨は折れ、両方の肺も穴が開くという、生きているのが不思議だといわれてもおかしくない凄惨な事故でした。そして、この日を境に、安杖さんの日常が変わってしまいます。一命は取り留めたものの、安杖さんはこの事故で胸から下の感覚を失ってしまったからです。
平成5年に防衛大学校を卒業後、北海道名寄駐屯地に陸上自衛官として勤務。名寄で7年間過ごした後、富士山の麓にある陸上自衛隊 富士学校に教官として任務についていました。そして、1年を少し経ったこの日、否応なしに自分の人生を突然変えざるをえなくなる、この出来事に遭遇してしまったのです。
この事故が原因で、安杖さんは車椅子生活となり、自衛隊も辞めることとなってしまいました。
安杖さんは、いま東京の高田馬場で一人暮らしをしています。
「もともと自立心が強いほうでして。このような身体になっても親の世話にはなるまい、と思って東京で一人暮らしを始めました」
出身は秋田県。高校を卒業後、横須賀にある防衛大学校に進みました。
「早くから親元から離れたい、独立したいと高校生ぐらいのときからずっと思っていたんですよね。それで防衛大学校を選んで進みました。防衛大学校に入ると公務員となるので、お給料が出ます。大学の費用も自分でなんとかしたい、と思っていたのでこの道を選びました」
とにかく、親から自立したい。
その思いで進んだ防衛大学校、自衛官への道。自立を思う気持ちは、いつの歳になっても、そして、どのような境遇になっても変わることはありませんでした。
闘病生活は約1年半。治療とリハビリを重ねてようやく退院したのは、平成15年3月。事故から実に1年半経っていました。退院後は秋田の実家に戻り、しばらく両親のもとで過ごします。しかし、安杖さんの心のなかには、ずっとくすぶっている気持ちがありました。
「障害を持っているからといって、31歳で親に面倒みてもらうなんて、とても考えられませんでしたね。だから障害を持つようになってしまっても、『自立したい』という気持ちは変わりませんでした」
安杖さんが、一人暮らしの拠点として選んだ街は東京の高田馬場というところ。学生時代に何度か遊びに来て馴染みがあり、自衛隊仲間も多く住んでいることもあってこの街を選びました。新しい生活が、ここでふたたび始まります。とはいえ、すぐにいきなり一人暮らしすることはやはり難しく、移り住んでからしばらく母親が付き添ってくれていました。
「とにかく自立する」。
高校生のときから抱いていたその気持ちは、身体の3分の2が動かなくなっても変わることはなく、安杖さんを突き動かす原動力となります。
1年後には、自ら目標とした、母親の手を借りることのない一人暮らし生活を見事に実現しました。
戦国武将が大好きという安杖さん。その時代、男子はみな16歳で元服し、大人として世に出ていく彼らの姿に憧れを持ち、自分もそうありたいと思い続けていました。そんな戦国武将のなかでも、最も好きなのが真田幸村だといいます。
「31歳で事故したときに、とくに真田幸村に救われました」
31歳といえば、まさに働き盛り。これからもっと様々人生の道を築ける時期です。そのようなタイミングで体の3分の2が動かないようになってしまい、これから先をどう生きていくべきか……。常に自立を意識していた安杖さんでも、さすがに心の奥底に不安というかしこりのようなものを感じた時期がありました。
真田幸村は、戦国時代末期から江戸時代初期の武将。豊臣方である西軍の将として関ヶ原の戦いに参加し徳川家に敗れます。敗戦の将となった幸村は、高野山の玄関口となる和歌山県の九度山というところに蟄居を命ぜられました。このとき幸村の年齢が31歳。大坂夏の陣に返り咲き、勇敢な戦いで名を馳せるまで、ここからさらに15年の年月をかけることになります。
戦いに敗れ、蟄居という処遇は、戦国武将にとってまさに人生最大の落ち目。それが同じ31歳という年齢であることから、真田幸村と自分自身の境遇が重なります。
「自分が事故したときと同じ歳に、幽閉されて15年も淡々と下積み生活を重ねて、ふたたび返り咲いていく幸村の話は、当時の自分にものすごく響きまして……。幸村のような有名な武将でさえ15年もかかって下積みを重ねて返り咲いている。それだったら自分の5年や10年という年月もどうってことないな、と思えるようになったんです」
真田幸村のエピソードは、安杖さんの心をしっかりと支えてくれました。そして、支えとなるものがもうひとつある、と安杖さんは語ります。
それは、身体を動かせることへの「感謝」です。